うまく話せない。
自己紹介はいや。
人間関係が苦手。
何をどうしたら直せるのか、悩まれていませんか。
あきらめていませんか。
いろいろなアイディアがありますよね。
人をピーマン、カボチャだと思えばいいよ!とか。
自分もこの間、会議で、大変苦しい思いをしていました。
私は、うまく話せません。
しどろもどろになります。
おかしいなあと思いました。
なぜ、こんなに労力を使っているのだろう、、、
私は周りの人の顔を見ずに、一人で意見をいうのです。
苦しいです。
でも、長年やってきた、あることに気がづきました。
しどろもどろになりながら、力を入れて
話をし終えたら、
相手は「それもそうだった、確かに、そうだ。」と受け止めてくれました。
その瞬間、気づきました。
「殺される、意見を言ったら殺される!」
そう必死で信じ込んでいたのです。
自分の気もちを正直に言うと、怒鳴られてきた経験があります。
「吐きそうで苦しい。」すると「甘えるな!」
とてつもない、つらい気持ちも、話すと怒鳴られました。
つらい気持ちはさらにも拡大していくのでした。
当時の自分は、それを殺されるのと同じように
とらえたのかもしれないですね。
こんなに傷つくのなら、他人には、言わないほうが絶対にいい、
絶対に本音は言わない、どんなことがあろうとも自分のことは話すまい、
そう決めた時がありました。
今でも安全策をとるために、かしこい頭が、親切にも
「自分の本当に思っていることを話すと、殺されるから用心して」
としっかり警告し、自分の信念のごとく、生活に密着していたのです。
先日の会議では、自分の意見を伝えたとき、相手にそのまま意見を受け入れてもらえたので、
「あれ、殺されなかったなあ、、私一人で殺される、責められる、怖いと動揺していたのだ」
と気づけたのです。
この過剰なほどの安全策思考(殺される、殺されると思って行動すること)があらゆる生活の場面で、使われていました。
人を敵のように思ったり、
ものを持つ寸前にウっと力を入れていたりします。
首を絞めつけられているように苦しくなり、
よれよれとした芯のない歩き方になりました。
根深くも習慣化してやっていたことに気づけると、
敵のように怖い、と思っていた人も、少し違って見えてきたり、
ものを触るときにも少し余裕をもって、そっと触ったりできました。
暗かった部屋は明るく見えてきます。
自分が無意識に何をしているか、気づくことによって、
生活のあらゆる場面で、行動や判断が変わってきます。
なので、自分の無意識でやっていることの気づきは、
自分らしさを取り戻したり、元気になったりできる最強のアイディアなのです。
でも、私個人が、もっと気もちを込めて伝えたいことがあります。
これまでに、たくさんの場面でしどろもどろに話すたびに、
「あなたはだめねえ」と言われ続けてきた、屈辱。
そんな場面がはっきりと鮮明に頭に思い描かれる。
もし、あなたがそうだとしたなら、
「話せないことはダメではない!」
とお伝えしたいんです。
話せないのは、私の例のように、生きていく中で、つちかってきたものだったり、
何か深い要因があったからであり、
「だめなこと」「人と比べて劣っている」という
考えと直結させないでほしいのです。
どんなに周りから言われてきたとしても。
強く言われてきたとしても。
これまで自分も多々、いろんな場面で、
話せないことで、誤解を生じさせてきて、
自分はだめだ、と思ってきました。
違います。
「だめ」なことなんて、ない。
「ダメな人」なんていない。
話せないのは、ちょっとした、
ご自身の頭と体の勘違いや誤作動が引き起こしているだけであり、
その姿をみて、「だめ」という人こそ
「だめ」なのです。
こういった気づきによって、ご自身の体の機能の回復や成長させていく取り組みにちょっとでも興味をもたれたらぜひ、一緒にやってみましょう。イベントにご参加ください。
お待ちしております!