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1、病院の、心に傷を抱えた子どもたちとの関わりから
7月、教員免許を持っている人が、
免許の更新のために受講する、
教員免許講習を受ける中で
病院の院内学級で働いている先生
(副島賢和先生)の講義をインターネットで受講しました。
タイトルは「子供に寄り添う教師を目指して」
この授業は、私にとって大きな意味をもたらすものとなりました。
2副島先生の話
講義の中で印象に残ったことは2つです。
- 子どもが病気になった時、深刻な喪失感や不安が強くあること
- 不快な感情を大事にすることの意義
①病気による喪失感、不安について
子供時代の病気により、生活が大きく変わり失っていくもの、不安があります。
以下は私が経験したのも付け加えて書いています。
- 毎日、安定してあった健康状態の喪失
- 友達がいなくなるのではという不安
- 自分一人ではないかという孤独感
- 将来への不安
- 死ぬのではないかという不安
- 明日学校に行けるかどうかの不安
- また同じ症状が繰り返されたらどうしようという不安
- 部活動ができなくなった、ほかの人と同じことができない悲しさ
②の不快な気もちを大事に扱うということについて
学校ではうれしい、楽しい、がんばります!
といったポジティブな感情は受け入れられやすいけれど、
苦しい、悲しい、つらい、頭にくる、腹が立つ
といった感情は受け入れられないこともあります。
悲しい、苦しい、腹が立つ、といった人間が
もっている不快な感情があってはいけない、
ということを強いていると、
感情の扱いが間違われ、精神的な安定ははかられず、
幸せも感じられず、
場に応じた適切な行動ができなくなることもあります。
何かをやり遂げる力も育まれません。
解離という症状になることもあります。
ぼんやりして、自分が自分である感覚を失う症状です。
3、自分の経験
私は14歳の時に病気になりました。
最初は不眠症。
その後、腹痛や頭痛、めまい様々な症状があらわれました。
教室や廊下でぐったり横になってしまいました。
子供の頃は経験が非常に少なく、
困難に立ち向かうアイディアをもっていません。
元気で毎日部活に励んでいた私は、
一気に突き落とされた気もちでした。
自分が悲しんでいた時、
両親から
「そんなことは大したことがないでしょ。
女々しいからやめなさい。」と言われました。
これだけ苦しいのに、わかってほしい!
という気もちもありつつ、
その反対に私は
どんなに苦しくても我慢するのだ、という
誤った考え、信念も持ちました。
体がどんなに苦しかろうと、
いたわるということなどせず、
悲しいことも、そんなことは大したことない、
もっと苦しんでいる人はいるのだ、
と自分に鞭打ってきました。
自分に冷たくしている人が、
他人に対して優しくできるわけがありません。
友達もいませんでした。
また、病気によって、
様々に起こる子どもながらの不安、
またこの症状が起きたらどうしよう、
一生こうなのかな、治らないかも、
死ぬのではないか、
という不安は拡大していきました。
さらにそれは日常生活のあらゆることに連鎖し、
何事につけてももしかしたらだめかもしれない、
という不安癖、否定癖をつけるようになりました。
いくら有名病院を頼っても治ることなどありません。
病気の不安を抱え込んだ自分は、つらくて孤独で
原子爆弾を一人で被ったような苦しさで
耐えることはできません。
絶対に自殺するぞ
という決意を持った時期もありました。
何かにつけ、不安や否定感情、
不満がたまり、
ぼんやりとして解離の症状も強かったです。
人やものごとに対し、よいことまで、
よくないように拡大して見えて、
炎の中にいるような精神状態でした。
人殺しの事件があると、
自分は似たような事件を犯すのではと思い、
他人事ではありませんでした。
私は、精神がひどく落ち着かず、
思考はぐちゃぐちゃで、
犯罪を犯さざるをえない人の気もちがよくわかったのです。
副島先生が講座の画面に向かって、
本気で、子どもの病気について
語っている姿に目を疑いました。
大したことじゃないと思って伏せてきて、
その苦しみを
うまく言語化できなかった自分の病気の時の気もちを
代わりにすべて具体的に説明してくれていました。
それも何万人もの、たくさんの受講生が対象なのです。
私は、これまでの30年もの苦しかったことの
すべてが救われた気持ちがしました。
病気になっても、苦しくても、
それはそれでよかったんだ、
と子どもが「納得する物語」になるようにさせる必要がある
と先生は言ってます。
自分も、ずっと「納得するんだ」と言い聞かせてきましたが、
あまりにきつくてできませんでした。
しかし、講義を聞いてからは
「この苦しかった過去がある自分など、みっともない、だめなんだ。」
という気もちが、薄まってきました。
最近では、苦しかった過去が自分の恥だとか
トラウマとして悪夢のようになっているといったこともなくなりました。
もう、過去は過去のものとしてその場においていける。
しかも、将来ずっと一生、未来につながる大事な過去として。
このつらい体験は、人に与える原動力になる、
夢や希望を与える武器になる、
と思えるようになってきました。
トラウマは高い価値ある財産に変わりつつあります。
そう思えたのは、自分の病気の体験を貴重なものとして
扱ってもらえたからだ、と改めて思います。
4、ひとりじゃないよ
病気、不快感情、不遇とも思えるできごとに、いいも悪いもなく、
恥ずかしいこともないし、まぬけであることもないし、
大したことないということもありません。
あってはならないこと、などないということを実感しました。
そういった現実こそ、逃げずに受け入れて、肯定し、
拡大鏡で観察するがごとく大切にすることで、
一般論ではない、ものごとの本質や表裏の関係が見えてくるのだと思いました。
副島先生の書かれた本は、「ひとりじゃないよ」というタイトルです。
私のホームページのトップページの第一文も
「ひとりじゃないよ」と題しています。
苦しい状況を、私のように何十年もかけて打破することはないのです。
人は誰でも、幸せになれる存在であり、
誤った信念(どんなに体がきつくても休んではならない、など)
によって苦しみ続けることはないのです。
ものすごく苦しいことがあっても、
みじめだと思うできごとがあっても、
失敗ばかりしていても、
絶対に誰もわかってくれないだろうと
思うほどの深刻さがあっても、
それを本気で、真剣に理解しようとする人、
共有しようとしてくれる人は必ずいること。
そして人は変わることができる、変わるべき存在なのだ、ということ。
それを伝えたくて
「ひとりじゃないよ」と心を込めて、題しています。
副島 賢和先生(そえじま まさかず)プロフィール
昭和大学大学院保健医療学研究科 准教授
昭和大学附属病院内学級担当
1966年、福岡県生まれ。
89年、都留文科大学
25年間都内公立小学校教諭。
99年、東京都の
在職のまま東京学芸大学大学院にて心理学を
2006年より品川区立清水台小学校さいかち学級
学校心理士スーパーバイ
2014年より現職。
小林正幸氏(東京学芸大学大学院教授)らと共に、
共著に『学校でしかできない不登校支援と未然防止』(東
ドラマ『赤鼻のセンセイ』(日
11年には、『プ
「パッチ・アダ
有名なハンター・キャンベル・アダムス氏(